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認知症61納骨 [認知症]

一昨日の日曜に母の納骨を済ませました。最近は母の幻影に悩まされることも無くなり、四十九日というのはその意味でも喪に服す丁度よい長さなのかな、と思いました。

さて、納骨の儀は家族と少数の親族だけで気持ちを込めて、のはずでした。というのは、骨壺を納める穴が何と「通路の敷石の下」だったからです。古くて小さな墓石ですし、もう埋める場所がほとんど無い、とは以前から聞いていました。ですから穴を見たときも、手前から横に掘るのだろうと思ったのです。でも、石屋さんはそこに埋めると言い放ち、経を唱えにきた住職の息子も黙っています。

もっと横に掘れないのか聞いたところ、桜の木が大きくなって根を張っているから無理だ、と言います。確かに、5センチくらいの根が3本ほど切口を見せており、これ以上お墓に近づけるのは大掛かりになりそうです。穴の上にはベニヤが置いてあって、石屋は『埋めた後で敷石を戻す』と言うのです。これでは、母の骨は通る人達に踏みつけられることになります。

僕等は『収納できる大きな墓石に替えるか、別な場所に造り直すかするまで納骨を延期したい』と住職に申し出ました。しかし住職は『納骨のお経を上げたということは土に帰すことなのだから、ダメです』と言う。しかたなく骨壺を入れて墓石に水を掛けてお参りを済ませました。

そして石屋に墓石を造り直す相談をしたのです。墓石は150万円。その時また数回はお経を上げることになって、結局は200万円くらい掛かるのでしょう。工期も1ヶ月は掛かると言うし、『一旦、家族で相談してから』ということにして引き上げました。

これが旧態然としたお寺さんの仕業です。威丈高で真心がこれっぽっちもない。費用が嵩むとしても、墓石を替える必要があることを前もって言うのが最低限の心づくし、否、礼儀ですよね。踏みつけにして良し、は有り得ない。

親戚と食事をしながら、いよいよ『お寺と決別の時ですね』という話でまとまりました。

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夜叉神峠 [山・風景]

折角の連休、家で燻ってるだけ、というのも何なので、どっか行こうか?
ということで息子達と出かけた日帰りハイキングは夜叉神峠。
登山口までは中央道を2時間ちょい掛かるけど..

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新緑には早過ぎた唐松の植林を40分ほど登ります。高尾山より楽ちん。

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峠には眼前に広がる残雪の白根三山。犬を連れている人もちらほら。
峠の標高は1770m。ここでも丹沢より遥かに高い。

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本邦2位の主峰、北岳を望遠でアップ。
ここからは2、4、6、13、15、21位の三千m峰が間近に望めます。

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母の位牌を持ってきました。85歳のとき僕等と登っています。

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帰りに芦安の街で撮った富士山。13時半には高速に乗ったにも関わらず、渋滞にはまって5時間も掛かりました。

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認知症60陰ケーキ [認知症]

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今日は母の誕生日。生きていれば満で白寿でした。
陰膳ならぬ陰ケーキ。デコレーションケーキはやり過ぎなのでショートケーキ。
家族で『Happy Birthday』を歌って上げました。

昨日は納骨の打ち合わせでお寺へ。住職と奥さんと歓談し、一族の話題などしているうちに「先祖代々」の感慨も湧きました。どうしたもんか。

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従妹の入院5 [家庭・学校]

そんなわけで、2、3月は毎日の母の食事と週1、2回の従妹の面会や外出で大忙し。この1年、とりわけ今年に入ってからは、一体どうなってるんだ、という状態だったのです。

従妹は去年の4月に母親を亡くして、離婚届に判を押し、今回は娘と猫に去られて、瞬く間に1人になってしまったわけです。次の日には取りあえず『退院は延期になったから』と伝えましたが、隠し通すわけにもいきません。病院と相談し、退院予定だった3/21には事実を話すことにしました。彼女は呆然と聞きながらも、冷静に受け止めているように見えました。

退院延期だけに気持ちがのめり込まないようにと思い、そのまま、お袋の病院に連れて行って面会をさせ、往復の車の中で『娘さんもギリギリの決断だったと思うよ。』と説明しました。しかし、それからは毎日、何回も僕の携帯に電話が掛かってくるようになり、日増しに不安になっていく様子が見て取れる。娘さんは着信拒否にしているらしく、いくら掛けてもつながらないとのこと。『頑にさせるだけだから電話しないほうが良いんじゃない? それより君の退院後の生活をどう立て直すかだよ。』と説得しました。

仕方なく、1日おきに面会に行き始めた1週間後のお袋の死。今度はどう伝えるか..。再び病院と相談し、直接僕の口から言うことに。あとで『なんで言ってくれなかったの!』となることが明白だったからです。ケースワーカーは『様子がおかしくなっても後は我々がフォローします。』と言ってくれました。

病院の中庭で熱い紅茶を飲みながら、『今日は悲しい知らせがあるんだ。』と母の死を伝えました。『そおかあ、亡くなったのかあ..。』この無感動っぽい反応が怖い。あとでジャブのように効いてくるのではないか。

でも3日経っても余り不安定ではない。それならば、顔を見せたほうが却って良いかもしれない。と考えて病院に申し入れ、葬儀屋に安置してある母の寝ているように安らかな顔を見せました。2日後の通夜の前にもお棺に入った母とメモリアルコーナーを見せて線香を上げてもらい、充分なお別れをしてもらったのです。

しつこい電話には『仕事中だから後で掛けて!』など普通の対応をするようにしたところ、彼女なりに気を使うようになってきています。すぐに頭が一杯になって気忙しくなってしまったり、2、3度では言われたことが頭に入らない、など、まだまだ病気っぽいところはありますが、徐々に落ち着きを取り戻しつつあるようです。

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従妹の入院4 [家庭・学校]

実はこれも書きそびれていましたが、従妹のほうも難儀なことになっています。
今年に入ってから大分具合が良くなってきたので、仮退院をさせてみようということで、先ずは家に1泊させて様子を見ることに。

娘さんと迎えに行って、スーパーで夕食の買い物をして送り届ける。中学のママ友が遊びにきて歓談。夜、寝付きが今ひとつなので、軽い睡眠導入剤を1錠飲む。翌日は娘とカラオケで3時間も唄う。という話を聞きながら病院に送り届ける。これを2月から1週おきにやってみました。

なかなか順調で、初めはぼんやりした感じだった彼女も回を追うごとにハッキリしてきます。「退院」という目標が具体的になってきたことが大きかったのでしょう。そして、娘さんが春休み中の3月半ばに退院して、月末までに生活のペースを作ってもらえば、4月の新学期から娘が夜しかいなくなっても大丈夫だろう、という行程になりました。
それに合わせて市の福祉課職員やボランティアの人にも外泊中に来てもらい、退院後のデイケアサービスの打ち合わせもしたのです。

ところが、退院予定の3月21日を数日後に控えた土曜日の夜、『お父さんが話をしたいと言っている』というので、会うことに。そこで耳を疑う展開になりました。

まず、彼が重い口を開いて第1声。『再婚をしました。娘は引き取ります。猫も連れて行きます。そのために新しい家を借りました。』

僕等は娘さんを見つめました。娘さんは唇を震わせながら『一緒に住んだら、また元通りになってしまう。お母さんのためにも全て新しくやり直したほうが良いと思う。お父さんが苦しんできたのを見てきたから仕方ないと思う。』と、まくし立てます。

僕は『逃げ出したい気持ちはわかる。僕も叔父のいた実家にいると腐ってしまうと思って家を出た。』と言い、家内は『夫婦は離婚したらそれまでだけど、お母さんはあなたのお母さんよ。猫まで連れて行っちゃうの?』と言いました。しかし、そのあと彼等は押し黙ったまま。僕等は『わかった。』と言わざるを得ませんでした。

その10日後に母は亡くなりました。母が『もう私のことは良いから、従妹の面倒を見なさい。』と言ったのでしょうか。

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認知症59後悔 [認知症]

今日は「お仏壇の長谷川」で位牌の注文をしました。
モダン趣味だった母に合わせて、寺臭くないものをと思い、黒と金ではなく、紫檀のシンプルなデザインで台座に迷彩模様のオパールをあしらった最近の形を選びました。迷彩模様は遺影で着ていた毛糸のチョッキに良く似た柄です。チョッキは母お手製の端切れ毛糸を繋いだもので、とてもお気に入りでした。年も満で数える「享年」ではなく、数えで『行年九九歳』と彫ることにしました。来週が誕生日ですからね。

いろいろと段取りが進んで、あとは四十九日の納骨です。やっと落ち着いてきましたが、寝付きが良くありません。いまだに青く腫れた右腕とハアハアと荒い息をしていた母の様子が目に浮かんでしまうのです。痛みの声を上げることもしないで歌を唄っていた母をどうにかしてやれなかったか、という後悔がどうしても消えない。

病院のミスは言語道断としても、そこに導いたのは僕の判断でもある。まず第一に胃瘻にしなかったこと。次に受け入れに慎重過ぎたグループホームを見限って仮り抑えした老健にさっさと移さなかったこと。そして、あの腕を見たとき(既に手遅れだったとしても)即座に救急車を呼ばなかったこと。

苦しんだのは丸1日だけだったとはいえ、前々夜の腕吊り、前夜の腫れた腕の発見、と事故は僕の目の前で進行していたのです。僕は何もせず、病院も何もしなかった。結果論だとしても、それが悔しい。

慰めは幾つも挙げられる。食べる気力を失っていたし、死期を悟っていたかのような態度だった。老健に移そうが、ホームに戻そうが、遅かれ早かれだったかもしれない。それは僕も半ば自覚していた。最後の1ヶ月は毎日ご飯を食べさせたし、身近な人を会わせもした。危篤も間に合って僕等をわかってくれたし、看取るときも安らかになった。でも映像が消えない。

入院するまで歩いていて健康で、99年もの生涯を満喫し、変則な人生でも3人の孫に囲まれることができ、...でも、最後に苦しませてしまった。時が解決するとは思うのだが、今は苦しい。あの世で会ったら、そのことを真っ先に謝ろうと思う。そして、なぜ訴えてくれなかったか、を聞こうと思う。

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満開 [山・風景]

今年は例年より見事な気がします。
お袋に見せたかった。

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いつものフルーツパークのトンネル。

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三沢川の稲城市役所付近。

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認知症58告別式 [認知症]

3日のお昼に告別式を滞り無く行いました。

展示してあった20代以降の思い出の写真、お気に入りの帽子や上着、着ることの無かった白いちゃんちゃんこなどを納め、ホームの所長さんも出席して頂いて顔を見てもらうことが出来ました。

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帰りは春の嵐になっていて空も悲しんでいるかのような巡り合わせの中、骨壺に入って5年ぶりに我が家に戻って参りました。おかげで熊本の従兄は飛行機が欠航、もう一晩家に泊まっていきました。あらかた終わって、ほっと一息ついているところです。

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認知症57お通夜 [認知症]

昨晩のお通夜は滞り無く済みました。親族は皆高齢で足の悪い人が多く、そのために3家族が欠席。仕事の都合では3家族が欠席。遅れてきたのが2人、午前中に顔を見てもらったのが1人、遠くて来られないのが1人でした。

結局、僕らの家族が5人+義母のほか3人の計9人の親族、会社関係が18人、ホームの職員が5人、友人が3人の質素なものとなりました。

でも葬儀社が協力してくれたメモリアルコーナーは好評で、皆さん、セピア色の大正から昭和初期の写真や、80才で僕ら家族と八ヶ岳に登った写真などを熱心に見ておりました。年寄りの葬儀では余り見られない光景だと思います。

バックミュージックは入院後に盛んに唄っていた『お使いは自転車に乗って』、『ドイツ国家』と『イギリス国家』、カラオケで十八番だった越路吹雪の『サントワマミー』、そして同居している頃に好きだったモーツァルトのピアノ協奏曲とベートーベンの田園をCDにしたものを流しました。

『ドイツ国家』と『イギリス国家』は亡くなる前の1ヶ月、繰り返し唄っていましたが、理由はわかりません。初めは賛美歌かと思いました。聞いたことがあるし、独語や英語で、『グローリア....』という歌詞が出てきたりするからです。歌詞がわからないとドレミで唄ったりもしてました。あるとき、ふと、ヨーロッパの国家じゃないかと思ってYouTubeで検索したところ、ビンゴだったのです。いったい何だったのでしょう。

残念だったのは、親族だけが唱えるお経が長過ぎて、顔を見ずに帰られる人が多かったことです。特にホームの職員達は最近の5年間、僕らより親密に生活していたわけで、ぜひとも寝顔のように安らかな顔を見て行って欲しかった。明日の告別式は来ないでしょうから。

ここでも坊さんを『めんどくせえ』と思いましたが、食事のときの雑談では落語家のような雰囲気で気さくに喋っていて、義母は『それほど感じ悪くないじゃない』と評してました。

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認知症56準備 [認知症]

葬儀まで間が空いたお陰で、遺品に目を通す時間ができました。まず、写真を整理しているうちに『模造紙に写真を年代順に貼って展示しよう』ということになりました。ホームに掲示してあった写真にも良いものがあったので、『貸してもらえますか?』と聞いてみると、『他の入居者が写ってないもので作り直しましょう。』と言ってくれました。そこで、葬儀屋に相談して掲示用のパネルを3枚借りる話をつけ、アルバムや愛用品を並べるテーブルも用意してもらうことに。写真や帽子はそのまま棺に入れることにします。

遺影は「認知症34」で予告?したものが結局一番良かったので、これに決定。このときのドライブで撮った写真はどれも素敵な笑顔です。ホーム入所1年目で顔もふくよか。とても95才とは思えない。入所前の幽霊のような写真との違いに改めて驚きました。90代では最良の時だったように思います。

DSCN1614.3.jpg「遺影」
 「道志」道の駅横の河原にて

あとは今年の正月に撮ったビデオをパソコンで再生することにしました。これも1ヶ月足らずで入院するとは思えないほど元気です。こうして、時間がたっぷりあるお陰で、充分な供養の場を造ることができそうな感じです。

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認知症55葬儀社と寺 [認知症]

亡くなった途端に迫られるのは遺体の安置をどうするか、葬儀をどうするか、です。互助会に連絡すると1時間半ほどで霊柩車が来ました。家に戻るか、葬儀社にするか。可哀想だけど葬儀社にしました。

病院で既に身体を拭き、死に装束と薄化粧を施してあります(これは手早かった)。昼過ぎには葬儀社に到着。ここで改めて湯潅(ゆかん)をしている間に葬儀の打ち合わせをします。祭壇は最も簡素な花壇にしましたが、なんだかんだと嵩んで150万円くらいの予算。でも頼りになるのは葬儀社しかありません。義父のときは自宅葬儀でしたが、結局は葬儀社の取り仕切りでした。

問題なのは「お寺さん」です。火葬場は普通はなかなか取れない土日が空いてました。しかし、葬儀社の人は『お寺には先に決めたように言わないほうが良いですよ。』と忠告します。案の定、電話に出た住職は第一声で『先にこちらに相談するものです。』と言いました。そして、『土日は法事が入ってるからダメだな。月火にしましょう。』と決められてしまいました。5日も先の平日です。

しかも『お宅は代々戒名に「院」のついた最高のものを付けているので、それでいいですね。』『あの、ちなみにおいくらほどになりますか?』『15年前のオジさんが100万円だったから、まあ150万円いただきましょう。』

これが密教の現状です。ベンツを乗り回して。
葬儀の段取りの煩雑さにテンパっていた僕は『そうですか』と返事をしてしまいました。

本家である我が家はこのところ娘ばかりで、荒川姓がいない。私生児の僕がいるだけなのです。母は兄弟のドンだったし、なんとなく僕が檀家を引き継ぐ雰囲気になりつつあります。あまり関心の無かった僕も、そろそろ決めなくてはならないかな、と最近思うようになっていました。しかし、このやりとりで一気にウンザリ。いくら谷中の伝統ある寺だからといっても、そんなに威張ってちゃね。息子達は、まっぴらごめん、と言ってるし、僕が継いでも次で途絶えそう。

そこで昨日、意を決して、お寺に電話しました。『思いのほかお金が掛かりそうなので、「院」を取って安くして頂きたいのですが..。』『葬儀屋に掛かったの?』『ええまあ、そこそこ』『それだと今後ずっと格が下がりますよ。』『仕方ないです』『本来、お寺への貢献度で何たらかんたら云々かんぬん...。』『そうですか。はい。はい....。』とやりとりが続き、『じゃ、お経代込みで100万円にしましょう。』『ありがとうございます。(やった!)』

ほんとに檀家を辞めようか、と思います。さいわい今回親戚が集まることだし、あと2家族が父親の遺骨を引き取れば済むことだし、相談してみようと思います。我が家は真言宗ですが、カミさんの実家は浄土真宗で、戒名に格付けはないし、お布施も1桁は安いし、宗教者らしい対応も随所にある。さすがに親鸞は即成仏の平等主義ですね。

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認知症54死因 [認知症]

直接の死因は、病院がどう恍けようと、点滴のミスか、点滴の障害に気づかなかったか、に違いありません。
しかし、母は痛みを訴えなかったのだろうと思います。衰弱のために、痛みを感じないほど感覚が麻痺していたのかもしれない。だから気が付かれなかった。

食事のときに拘束紐を外してあげると、良くオデコをとんとん叩いていました。『頭が痛いの?』と聞いても無言で続けていました。頭がぼんやりして、もどかしかったのかも知れません。あるいは脳の毛細管出血が進んでいたとも考えられる。

腫れを見つけた前の日には、夕食の時間に30分遅れて行くと、拘束紐で目一杯腕を下に引っ張られて「気をつけ」の姿勢で体を起こしている母がいました。寝ているときの紐を緩めずに食事のためにベッドの頭を立てたからです。僕はビックリして駆け寄り、紐を解いてあげました。それでも母は腕を伸ばしたまま。『痛くなかった?』と聞いても、腕を動かしてあげても無表情のままでした。

このことを死後にのこのこやってきた主治医に言うと、彼女(コダテ)は『それもあるかもしれない、レントゲンを撮ってみましょう。』と言って、20分後に写真を持ってきました。写真では骨粗鬆はあるものの、脱臼も骨折もありませんでした。介助士の不手際は謝ってましたが。

主治医の総評は(彼女も急変は予想外だったらしく)ひどく焦った感じで始まりました。しかし、死因については『はっきりしない』と繰り返します。『納得がいかないなら解剖しますけど?』とまで開き直るので『それは結構です』と断りました。そしてレントゲンを撮ることになったのです。肺も素人がわかるほどきれいなので、肺炎でも無い。死因は結局「心不全」になりました。


確かに病院での様々な対応には腹が立ちます。しかし、母の回復力が初めから無かったのが一番の原因でしょう。炎症治癒後から食べようとせず、起きているのも2日周期、4日周期でした。僕らが毎日食べさせるようになっても、歌の合間に騙し騙しです。

車椅子に乗れて、掴まり立ちも出来、その後のリズムは1日周期にはなったものの、最後まで自分でスプーンを手に持とうとはしなかった。刻み食になっても、それほど食べたわけではない。体力は確実に低下していたと思います。


ホームの所長さんは『自分が退院を遅らせたからだ』と思ったのか、音信不通になりました。彼とは腫れを見つけたときに電話で話し、亡くなった直後にも伝言を頼みました。今日ホームに、退所の手続きと荷物の整理をしたいと電話を入れ、折り返し掛かってきた電話で死後初めての会話をしました。彼は『悔しいです』と絞り出すような声で言いました。

『できるだけ早くこの病院から出さなきゃ』と思いつつ、見知らぬ老健に移すよりは元のホームへと同意して、1ヶ月退院を遅らせてしまったのは結果的に失敗でした。でも、たとえホームに戻ったとしても、食事が取れるようになったかどうかわかりません。たぶん脱水か栄養不良かで、入退院を繰り返すことになったでしょう。1、2ヶ月の違いだったと思います。

結果論で言えば、「胃瘻をして体力を戻し、量を減らしながら食べる訓練をしていく」というのが、延命にはベストだったでしょう。それでも「量を減らしながら食べる訓練をする」ことが出来たかどうかわかりません。認知症とはいえ、新たな老健の職員とうまくやれたかどうかも不明です。

ホームで暮らした5年間は、僕らが大助かりしただけでなく、母にとっても楽しく暮らせたものと思います。おばさん主力の和気あいあいとした良いホームでした。最後に悔いの残る思いをさせてしまって申し訳ないです。ちなみに、ホームは「上布田つどいの家」といいます。

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認知症53臨終 [認知症]

眠れないので詳しく書きます。
朝5時半に病院から電話があり、『血圧が下がって意識が朦朧としているので当直医から念のため家族に連絡をしてくれ、ということで電話しました。』と言われて、『それは危篤ということですか?』と聞くと、『そうです』との返事。すぐにカミさんと娘とで病院に駆けつけました。

母に声をかけると開いたままの目がこちらに動きました。抗生剤などの点滴を2つ付けて心電図と呼吸が表示される機械もセットされています。血圧は表示できないほど低いとのこと。酸素マスクの下でハアハアと息をしています。脈拍は130。呼吸は32。数字は高いですが安定しています。

手足をさすり、声を掛けながら、そばにいる昨日の看護士に詰問してしまいました。
『昨日はあれから何もしなかったんですか?』
 『はい。夜間は何もできないんです。』
『今やっているのは誰の支持?』
 『緊急事態なので当直医が..』
『主治医に連絡したんですか?』
 『してません。9時に通常出勤します。』
『緊急事態なのに?』
 『はい。』
『それから指示を仰ぐわけ?』
 『はい。』
『集中治療室は?』
 『この病院にはありません。』
『救急車を呼んだ方が良いんじゃないの?』
 『.......』

そんなやり取りをしているうちに呼吸が弱くなってきました。
『あれ?呼吸が弱くない?』
『おばあちゃん!』
『今日1日がんばって!』
機械を見ると、表示の波高が低くなっています。
しばらくすると脈拍も120、110と下がり、100を切りました。
そこからは一気に下がって0に。
肩を揺すると5、6回脈を打ちましたが、それっきり。
5分ほどの出来事でした。

顔は苦しそうな様子も無く、穏やかです。
目を閉じてあげても左目が開いてしまいます。
心臓マッサージも人工呼吸器も断りました。
これまでです。
『お疲れさま。あばあちゃん。』
『波乱に富んだ人生だったね。』

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認知症52逝去 [認知症]

残念ながら、母は朝8時に亡くなりました。
取りあえずご報告まで。





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認知症51点滴ミスの炎症 [認知症]

しかし、今晩のことです。ナースステーションで面会の記帳をして病室に入ると、男の看護士が追いかけてきました。

『8度以上の熱が出ているので今日は食事できないと思います。』
『なんで熱が出たんでしょう?』
『さあ...。』
『いまさら何でかなあ?』
『点滴も外しています。』
『どうしてですか?』
『何の熱かわからないので...』

母はいつものように歌を唄っていましたが、顔は黄疸のように黄ばんで、口で息をしています。彼が出て行ってからタオルケットをめくってみると、右手がひどく浮腫んでいる。さらに腕をめくってみると紫色に内出血を起こして、点滴跡は4ミリくらいの穴があいて、中がジュクジュクしています。これは尋常ではない。

すぐにナースセンターに飛んで行きましたが、姿が見えない。廊下をうろうろして見つけた看護婦に『手がすごく腫れてるんですけど。』と言うと『そうですか。』と見に来て、『ちょっと腫れてますね。包帯しましょう。』と絆創膏を貼りました。みんな知ってるんだろ!何をとぼけてるんだ?

事故はあるかもしれない。でも誤摩化しはナシだと思う。明日は主治医が当直だと言うので昼には行って、話を聞くつもりです。場合によっては即、転院した方が良いと思ってます。ちなみに病院は横浜の鴨居病院。

歌を唄ってたほどの母は多分?乗り切るでしょう。しかし、4/5と決めた退院は伸びると思います。4/16の誕生日には99才で白寿です。ネットで白いチャンチャンコを買って用意してあります。母にそれを言って『がんばってね』と声を掛けたら弱々しく頷いておりました。

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